大阪オフ会
Photographed by Kinzoh and his friends came from Gunma,Osaka,and Chiba




天保山
平成30年5月19日
MT.TEMPO
May19, 2018




 
天保山大観覧車のすぐ横にある天保山は、標高4.53mの築山。
国土地理院発行の地形図に山名と共に掲載されており、
山頂には二等三角点がある。
大阪市ホームページ内では日本一低い山と記載があり、
天保山山岳会でも日本一低い山としている。
しかし、2014年4月9日の国土地理院の調査で、
日和山(宮城県仙台市)が標高3mの山に認定されたことにより、
日本で2番目に低い山となった。
1831年、淀川が運ぶ大量の土砂を浚渫する必要が生じた。
洪水防止と市中への大型船の入港をしやすくする目的で、
約2年間かけて「天保の大川浚」とよばれる浚渫工事が行われた。
大坂町人の熱の入れようは相当なもので、大坂町奉行指揮のもと、
延べ10万人以上の労働力がつぎ込まれた浚渫工事は、
工事自体がお祭り騒ぎだったと伝えられている。
浚えられた土砂を安治川河口に積み上げられてできた築山は
十間(約20m)ほどの高さがあり、安治川入港の目印とする意図があった。
そのため当初は目印山(めじるしやま)と名づけられたが、
のちに築かれた時の元号から天保山と称されるようになった。
また、この浚渫工事によって天保山の周囲に町が出現した。
海岸べりに高灯籠(灯台)が設けられ、
山には松や桜の木が植えられて茶店なども置かれ、
大坂でも有数の行楽地となった。
当時の舟遊びをする人々の姿は歌麿の浮世絵に描かれているが、
天保山も歌麿や葛飾北斎の浮世絵に描かれている。
天保山には港があって、
松山・大阪(天保山)間に大型客船が約100年間も就航していたが、
2011年5月に廃止された。
愛媛から大阪には、この大型フェリー客船が一番使い勝手がよかっただけに
廃止はたいへん残念だった。
到着港の天保山の名前は子供のころから耳にしていたので知っている。



 
天保山はこの階段の高さだけの山である。


階段を上ると山頂になる。


山頂で記念写真


この絵地図によると、坂本龍馬・お龍はここから新婚旅行に出帆したらしい。








   

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