Photographed by Kinzoh in Osaka



松山、内子、大洲
平成27年8月6日
MAYSUYAMA,UCHIKO,OHZU

AUGUST.6.2015




「しまなみ海道自転車走破オフ会」を開催した。
定員は金蔵を含めて4名。
移動、宿泊・食事などを考慮すれば招待客は3名までが妥当。
東京(古金さん)、大阪(多吉さん)、台湾(モックさん)から参加者があった。
自転車走破は8月7日であるが、その前後に四国観光がある。


 
台湾人のモックさんが乗っている高速艇が松山観光港に到着する。
台湾から広島空港到着、その前日は宮島観光をし、帰国は高松空港。
高松でも1泊2日で観光の予定。
 

梅津寺駅。「東京ラブストリー」のロケ地。
 

ドラマで出てきた16時33分の便はまだある。
 

 

松山城
 

松山のゆるキャラ「よしあきくん」
初代城主 加藤嘉明(よしあき)に因んでいる。
台湾の「2010台北国際博覧会」では、県知事代理として出席している。
もちろん、後日中村知事も出席している。
 

内子座
 

 

すっぽん
すっぽんとは花道の七三の位置にある、小規模な切り穴を言う。
「七三」とは揚幕(楽屋の出入り口にかかる幕)から七分、 本舞台から三分の位置のこと。
この切り穴には昇降装置がついており、
舞台下から舞台上へ、役者が登場するときに使われる。
歌舞伎においては、
すっぽんを使って登場するのは人間以外である、という約束事があり、
妖怪変化や幽霊・忍術使いなどの役が登場する時に使われる。
逆に言うと、例え普通の人に見えても、すっぽんから登場したものは、
既に亡くなっているなど、人間ではないということがわかることになる。
「すっぽん」の名前の語源は
亀のスッポンからで、おそらく、穴から役者が首を出す瞬間が
すっぽんに似ていることから連想したのでと考えられている。
 

すっぽんの下部
 

奈落(舞台の下部)
 

回り舞台の仕掛け
 

内子座の紋
 

この日、内子は七夕だった。
 

 

大洲城
 

大洲城からの眺望。正面の山は「冨士山(とみすやま)」
 

冨士山からの眺望。中央の橋の奥の緑の小山に大洲城がある。
 

臥龍山荘。NHKドラマ「おはなはん」の実家として使われた。
 

 

 

茶室「知止庵」
 

氷室
 

不老庵 
風光明媚な肱川の臥龍淵の崖の上に建てた数寄屋造りで、
生きた槙の木が捨て柱として使用されている。
2011年5月に「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で一つ星を獲得した。
 

 

 

 

 

 
 
《臥龍山荘秘話》

臥龍山荘は河内寅次郎(大洲市出身)が構想10年、施工4年の歳月をかけて建設し、
明治40年(1907年)に完成をみた。贅を尽くした建物でなかなかよくできている。
建築主は、貿易商で財をなした名士の別邸というのは知っていた。
何十年も前になるが、何の貿易で財を成したのかと尋ねたことがある。
その時に、「南方のほうでいろいろなものを貿易していたようですよ。
これこれ、ここに敷いたあるござも南方からの物ですよ。
日本にはない植物で編んであるでしょう。こんなござはどこまりにないでしょう?」
と聞いたのを、いまでもはっきり覚えている、具体的な貿易品を尋ねたのに、
はぐらかされたようで釈然としなかった。はっきりと聞いた貿易品はござだけ。
それも他では見られないござだった。まったく普及もしていないござを輸入して大いに儲けたとは考えがたい。
長年脳裏に何かがくすぶっていた。
この日、偶然、峰建築会社会長と遭遇してこの山荘についての話を聞いた。
会長は大洲史談会にも関係していて造詣が深い。
会長が言うには、河内寅次郎という男はとんでもない奴だった。
若い女性を言葉巧みにさらって縛り上げ、箱につめて、南方に売り飛ばしていたらしい。
貿易は人身売買であったと。
この説は、つじつまが合う。そう考えるとすべてが解ける。たぶん本当だろうと思う。
かつては、若い娘を次々とだまして監禁し、南方に売り飛ばして巨万の報酬を得ていたのだ。
しかし、一人の娘が抜け出し、事情を話し、日本行きの船に乗せてもらい、
大洲まで帰ってくると、交番に訴えたらしい。虎次郎は首をつって死んだということである。
横溝正史の小説に出てくるような話ではある。
 

カラオケパーティー(前夜祭)。場所:金蔵邸カラオケルーム
 

カラオケは中国語にも対応している。歌たっているのは台湾人のモックさん。
着物を着たいというので、父の浴衣と帯をプレゼントした。
 







 
 
 


 

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