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クチ地下トンネル

Cu Chi Ho Chi Minh Vietnam on March 20, 2021


 ベトナム最大の都市ホーチミン市の中心地から北西へ約40kmのところにクチ県クチ市がある。そこから更に30kmのところにクチ地下トンネルがあるが、どちらもホーチミン市内にある。これはどういうことかというと、ホーチミン市はハノイ市とともに政府中央直轄市に指定されているが、その指定を受ける際に、ホーチミン市の近隣の県も携えて政府中央直轄市の指定を受けたようだ。だが、日常生活では「政府中央直轄」は省略されることが多いので、ホーチミン市クチ県クチ市という住所が存在する。クチ地下トンネルは正にそこにある。現在クチ地下トンネルは広大なベトナム戦争史跡公園になっている。公園内にはトンネル地域だけでなく、実際に使用された航空機や爆弾や武器などが保管・展示され、ホテル、レストラン、神社、射撃場、プール、川遊び各種ボート場などもある。

 クチ地下トンネルは全長250kmの地下トンネルネットワークである。ベトナム戦争中に、南ベトナム解放民族戦線 によってゲリラ戦の根拠地として作られ、広範囲にトンネルが張り巡らされていた。これらの地下トンネルには作戦本部、指令室、病院、貯蔵室、台所、居住スペースなどの設備があった。トンネルの傍には侵入者を捕らえる罠があちこちに仕掛けられていた。

 クチはベトナム戦争で、アメリカが最後まで陥落させることができず、「鉄の三角地帯」と呼ばれた難攻不落地域であった。ベトナム戦争は、ベトナムの人々が日本やフランスから独立を果たすも、南北に分断された祖国をひとつの国として取り戻したいと蜂起した戦争だった。当時は、北部を社会主義国のソ連(現ロシア)と中国、南部をアメリカが支援しており、大国同士の覇権をかけた戦いでもあった。

 クチ地下トンネルから更に40kmのメコンデルタの広大な平原に、一つぽつんと吹き出たような休火山のバーデン山がある。その山頂は遮るものがなく視界が開けた天然の良砦なので、古来よりこの山頂の争奪戦が繰り広げられた。第二次世界大戦中は日本が占領し、その後、ベトナム独立同盟会、フランス、南ベトナム解放民族戦線によって占領されたが、ベトナム戦争中は山頂は米軍が占領し、物資や人員をヘリコプターで運んでいた。山麓と周辺は南ベトナム解放民族戦線が占領していたが、地上は山頂の米軍から丸見えになる。それだけでなく、米国空軍はベトナムの大空も仕切っていた。南ベトナム解放民族戦線は自分たちの根拠地を熱帯モンスーン気候の地域に発達した「雨緑樹林」の地下トンネルに集結させて隠したのである。さすがの米軍もここには手も足も出なかった。

 全くの作り話であるが、「ランボー2」では、敵(ベトナム軍)がどこから襲撃するかも分からない舞台をこのあたりに設定したのではないかと思われる。映画「ランボー2」では特赦と引き換えにランボーを敵地に侵入させて、大活躍させるが、このトンネルに手を焼いた米軍が実際に取った対抗策は、大量の枯葉剤を散布することだった。南ベトナム解放民族戦線の潜む樹林などを丸裸にしてあぶり出すのが目的だったが、これが米国の命取りになった。戦争とはいえ、使ってはいけない兵器を使ったのである。日本に投下した原爆も使ってはいけない兵器だったが、当時は国際的な反対運動が大きなうねりにはならなかったので、柳の下の二匹目の泥鰌を狙ったのかもしれない。枯葉剤に含まれる猛毒は、がんや精神障害など様々な障害を大勢の人々に引き起こすと、世界中で反戦ムードが高まり、アメリカはベトナムから撤退せざるを得なくなった。その後、北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線が、南ベトナムを攻め陥落させたことで、ベトナム戦争が終結した。クチ地下トンネルはベトナムのこの奇跡的な勝利に多大の貢献をしたのである。



戦闘機


米軍のヘリコプターとベトナム軍の地対空兵器


クチ地下トンネルがある樹林


トンネルの入り口は枯葉やニッパヤシなどでカモフラージュされている。


落ち葉を取り除くと、入り口が見えてきた。


小さな入り口だが・・・・・。


大人が入る。大柄な米軍兵士には入れない。


入ると横穴トンネルがある。






















ロケーション:ベトナム社会主義共和国ホーチミン市







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